(書評)ひとりの記憶・橋口譲二

私の伯父は、太平洋戦争中、インパール作戦に参加し、マラリア熱に冒され行軍から離脱、帰らぬ人となった。福岡県三潴の田園地帯に建つ墓碑の前で、生前父はこの話をする度に、もしや現地の人に助けられ、幕落で行動力のあった伯父のことだけに、遠くミャンマーで生きているのではないかと話を締め括った。太平洋戦争中、多くの日本人が海を渡り戦死したが、遺骨も届かぬまま死を受け入れざるをえなかった人々が、もしやと思い続けていても全く不思議なことではない。そんなことを考えながら読み終えたのがこの一冊である。
『ひとりの記憶』は、取材から執筆まで二十年の歳月をかけ、戦前、戦中に海を渡り、戦争が終わってからも祖国日本に帰らぬ途を選び、現地で生き抜いている日本人を取材、ひとりひとりの過ぎ去った時間を写真と共にまとめた一冊である。
幼な子を二人、日本に残したまま出征終戦後もインドネシアに残り、途方もない後悔の中で今も医療活動に従事する人。
家族に苦労をかけた上に戦争に負けたと、理解し難い負い目を持ちながら貧しくジャワ島で暮らす人。終戦後そのまま中国八路軍に加わって看護婦として生き、国交回復後二十七年ぶりに帰国したが、故郷の面影を見失い中国に戻る人。無国籍で日本語もロシア語も殆ど話せないままシベリア、カンスク郊外で暮らす八十四歳の老人。
国の犯した最悪の暴挙は、家族のあたり前の絆を壊しただけでなく、個人の努力や願い、希望までをも残酷に奪い去って行った。戦争にのみ込まれ、翻弄された人々の記憶や流れていった時間の重みを痛感する。戦後七十年、戦争を体験した人々の生の証言が次第に風化しつつある現在に、この本は出版された。
「間に合ってよかった」の一行は、著者の率直な思いであるだけでなく、読者にも重い実感となる。一枚一枚の肖像写真は、どれも皆、笑みを浮かべている。それこそが、重い人生を経て来た人々が我々に繋ぐ希望のメッセージのように思える。

文:新山博之 (週間新潮 第3033号に掲載)

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