(書評)空より高く・重松清

高知から香川の高校に進み、寮生活を送りながら卓球に打ち込む息子に会いに、この三年間妻と二人何度も試合会場や彼の高校に足を運んだ。体育館では、応援席で熱気に包まれ、自身を鼓舞する選手の雄叫びや指導者の厳しい叱咤の声を聞き、敗者の涙も幾度となく目の当たりにした。高校では、フェンス越しに炎天下、土と汗にまみれた青春の姿に釘付けになった。何がおかしいのか笑い声を響かせる帰宅組とも擦れ違った。
部活に受験、そして恋愛のことも考えなければいけない高校生は忙しい。そんな彼らの姿にあの頃の自分を重ね合わせて読んだのが、重松清の『空より高く』だ。
舞台となる玉川ニュータウンは、かつては公団マンションの抽選倍率が新記録を更新し話題となり、入居の始まるたびに満面に笑みを浮かべた家族がやって来たが、三十年たった今では少子化・高齢化が進み昔の勢いはない。この小説の主人公ネタローこと松田練太郎の通う東玉川高校も統廃合で廃校が決まっている。夏休みが終わった始業式で、新しく着任するひとりの教師、ジン先生が紹介される。彼の任務は、閉校に向けて計画されている「さよならイベント」の顧問として生徒を指導することだった。
これは、卒業後の進路が決められず、毎日を退屈にうだうだと過ごしていた主人公とその仲間が、周囲の大人たちとの関わりの中で次第に自分自身の歩むべき道をさぐり、前を向いて最初の一歩を踏み出すまでの青春小説だ。熱いエールを送り続けるジン先生を始め登場する大人たちは、誰も弱くそれぞれに悩みを抱えてかっこ悪いが、懸命に生きているが故に、ネタローたちの心を揺さぶる。
悩み多いネタローたち高校生に向けられた著者の思いはそのまま悩み多い時代を生きる私達へのメッセージかもしれない。虐待やいじめ、校内暴力、小説の題材も暗く深刻で、時に筆の勢いに任せた配慮に欠けた読み物の見受けられる中、この小説は一服の清涼剤としておすすめする。
ここ高知でも廃校は過疎地だけの問題ではない。市内にも統廃合のため来年三月で廃校になる学校がある。校舎は取り壊され、跡地には図書館が出来ることになっている。その学校の横を歩きながら、最後の卒業生となる子供達の歓声を聞く。形ある校舎が消え彼らがいまをあの頃として思い出す時、心の中にはどんな思いが去来するのだろう。たわいなく友人と過ごしたあの頃が愛おしい空高い土佐の秋である。

文:新山博之 (週間新潮 第2867号に掲載)

関連記事

カテゴリー

アーカイブ