(書評)親を送る・井上理津子

あまり語られることのなかった葬儀業界を丹念に取材して話題となった前作『葬送の仕事師たち』の著者の最新作である。
七九歳の母の急死から、その四か月後の父の逝去まで、著者自身の看と介護、そして葬儀までの日々を克明かつ詳細に追体験して成ったこのルポルタージュは、父母の死から七年の歳月を経て上梓された。プライベートな話だけに、とかく思い入れが強くなったり、感情に流されたり、ひとりよがりなものになりがちだが、冷静に自分で自分に取材するという難儀な作業の末に、読み応えのある一冊となっている。これは真塾な取材姿勢に裏打ちされた筆力に負うところが大きい。誰もが避けられない親の老いと死に、大阪のある一家族がどのように対処したか。その率直な記録は深い共感を呼ぶ。
容体が急変した母の病状について、医師の説明に得心がいかず動揺する家族、心臓マッサージを繰り返す医師、「頑張って」と大声をはりあげる義姉、ひるむ私、走馬燈のように浮かぶ父と母の思い出の断片、そしてベッドを囲む沈痛な面持ちの家族。また、認知症の進む父を老人ホームに預け帰路につく切ない心情、いるべき人のいなくなった実家に漂う空虚感。そのひとつひとつに釘付けになるのは、この本の一字一句に、自分自身の体験を追想しているからだろう。
この本は何かを教え示すものでも、こうあるべしと提案するものでもない。ただ、絶対的な味方であり続けた親を失った時の「ありがとう」という感謝と、「ごめんなさい」という身を捩るような行き場の無い深い後悔。それらを引き摺って生きているのはあなただけではないと、背中を叩かれたような思いがした。カタチは失っても、心に残る感謝と後悔そのものが、親の存在を忘れず生きている証なのかもしれない。
団塊の世代が八〇歳になる二〇二七年以降、日本には「大量死」の時代がやって来る。「死」を引き摺らない為にも、「死」と向かい合ったこの本をお薦めする。

文:新山博之 (週間新潮 第3017号に掲載)

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