(書評)抱く女・桐野夏生

一九七〇年代、東京・吉祥寺近辺の下宿から大学に通っていた人間として、当時の風景や空気を髣髴とさせる一冊の青春小説に出会った。ジャズ喫茶、ライブハウス、ハモニカ横丁、足繁く通った本屋。長髪、画褪せたTシャツ、ベルボトムの裾のほつれ。いつしか当時の自分を俯瞰しているかのようにページを捲った。
七二年二月にあさま山荘銃撃戦、その数カ月後の連合赤軍リンチ事件の発覚、セクト間の内ゲバ騒ぎ。世の中を震撼させる事件が頻発した騒々しい時代ではあったが、すでに学生運動は破綻して終わり、学生の間には冷ややかで自けた空気が漂っていた。これは、その白けた学生の一人である三浦直子という女子大生が、自立への一歩を踏み出すまでの成長小説である。
大学に通わず雀荘やジャズ喫茶にたむろして日々を送る直子は、群れの中に埋没し、男子学生の間で自分の考えが軽んじられることに焦りを持っている。
また酒屋を営む家族との生活を嫌いながらも、その庇護の下にいる自分自身への苛立ちも抱えている。女性に対してのセクハラ、パワハラ、モラハラが蔓延する社会にも不平不満を持っている。
その直子が、一つ年上の友人・泉やジャズ喫茶のオーナー・桑原をはじめとする様々な人物に接し、身近な人間の自殺や内ゲバといった当時の象徴的な事件に遭遇しながら、不器用にやがて自分らしい生き方を探り始める。誰もが経験する青春期の息苦しさやもどかしさを、七〇年代の吉祥寺の風俗や街並みを背景に、くっきりと浮かび上がらせている。くいきりと浮かび上がらせている。
書棚には、吉本隆明、埴谷雄高、高橋和己、ギンズバーグ。ジャズ喫茶には定番のようにマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」、コルトレーンが流れている。
スマホもSNSも無かった時代、互いに口角泡を飛ばして考えを言い合っていた、煙草の烟のこもる下宿屋の雰囲気が甦る。映画にしろ足繁く通った書店にしろ、今よりもずっと文化的で思想に富んでいたと思うのは私だけだろうか。

文:新山博之 (週間新潮 第3003号に掲載)

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