(書評)私がケータイを持たない理由・斎藤貴男

電車内の光景を見よ。誰もが掌中の機器を見つめ、指先で画面に触れ、その呆けたような表情を隠そうともしない。ケータイは利便性と引き換えに多くの代償を求める。対面している相手を無視。交通事故を誘発。監視社会の助長。またいじめの道具でもある。
そんな指摘を並べる著者だが、ケータイを憎んでいるのではない。ケータイによって露呈する人間の醜さ、その本性を見て、「こんな道具を使う資格があるのか」と憤っているのだ。未熟な現代人にもできそうな、「休ケータイ日」を試してみたくなる。

文:新山博之 (週間新潮 第2867号に掲載)

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